いるべ漢方堂リニューアルに際して
- はじめに(漢方堂に至るまでの歩み)
- 中医学との出会い
- 60代からの人生再出発
- 人とのつながりを大切に
- これからの漢方堂

この度、いるべ漢方堂をリニューアルいたしました。
再度、いるべ漢方堂の歴史を振り返りたいと思います。
① はじめに(漢方堂に至るまでの歩み)
いるべ漢方堂のもととなる調剤薬局を創業してから45年以上。
現在は漢方専門店にシフトしましたが
これまで多くのお客様と共に歩んできた中で、
店主・橋口扶佐子が感じてきた「中医学との出会い」や「学びの軌跡」を、
改めて皆さまにご紹介いたします。
店主 橋口扶佐子について
| 年代 | 漢方堂に至るまで | 調剤薬局 | 漢方との出会い |
| 1973年 昭和48年 (23歳) | 福岡大学薬学部卒業後、病院薬剤師として勤務。 | ||
| 1979年 昭和54年 (29歳) | 陽光台薬局 第一子1歳第二子妊娠8か月の時、調剤薬局を開局 | ||
| 1989年 平成 1年 (39歳) | 入部薬局 と改め、 東入部に移転 (第三子3歳) | ||
| 1992年 平成 4年 (42歳) | 福岡市薬剤師会広報委員。会報誌に「FUSAKOさんの英会話」接客英会話 連載 | ||
| 1993年 平成 5年 (43歳) | 日本専門薬局同志会(以下、日専同)入会 | ||
| 1994年 平成 6年 (44歳) | 福岡市薬剤師会 早良区薬剤師会会長 | ||
| 1996年 平成 8年 (46歳) | 福岡市薬剤師会 広報委員兼学術委員 | ||
| 2002年 平成14年 (52歳) | 日専同 九州連合会 福岡部会長 全国でゼミ講師を行う | ||
| 2006年 平成18年 (56歳) | 日専同 九州連合会 女性部部長 | ||
| 2007年 平成19年 (57歳) | 江島俊哉氏の漢方塾に通う | ||
| 2008年 平成20年 (58歳) | 入部薬局法人化 | ||
| 2011年 平成23年 (61歳) | 福岡県 学校薬剤師 功労者表彰 | ||
| 2012年 平成24年 (62歳) | 日本専門薬局同志会 九州連合会 副会長 | ||
| 2014年 平成26年 (64歳) | いるべ漢方堂 と店舗名を改め、調剤薬局を止めて西入部へ移転。 | ||
| 2022年 令和4年 (72歳) | 中国政府認定 国際中医専門員(国際中医師)免許取得 | ||
| 2025年 令和7年 (75歳) | 現在に至る |
② 中医学との出会い
大学薬学部を卒業後、病院薬剤師として勤務していた私が、
「病気を治す薬」ではなく「身体を整える知恵」としての中医学に出会ったのは、
家庭を持ち、子育てをしながら健康の大切さを実感した頃でした。
子どもの不調や自分の体調不良に悩むうち、
「薬だけでなく、体質を整えることの大切さ」に気づき、
子育てや仕事をしながら中医学を本格的に学び始めました。
③ 60代からの再出発
子育てを終えた60代のとき、
改めて「人の役に立てる仕事がしたい」と思い、
保険調剤薬局をやめて、漢方相談薬店「いるべ漢方堂」を開きました。
元々、漢方や中医学の勉強は続けていましたが、72歳のときに資格として残しておきたいと思い、
中国政府認定 国際中医専門員(国際中医師)という中医学の専門資格を取得いたしました。
お客様の笑顔や「元気になったよ」という声が、私の原動力となっています。
④ 人とのつながりを大切に
新しいお客様との出会いも大切ですが、
お客様の多くは長いお付き合いの方ばかり。お客様と共に年齢を重ねています。
単なる薬の販売ではなく、
体調や暮らし、気持ちに寄り添いながら、
「心と身体がほっとできる場所」でありたいと願っています。
⑤ これからのいるべ漢方堂
人生100年時代。
学びも仕事も「定年」はない時代です。
私自身、薬剤師になり中医学に出会い、考え方が180度変わり人生が変わりました。
一生学び続け、その内容をお客様の健康に生かしていける仕事に出会えて
本当にラッキーだったと思います。
新しい発見や学びを得られることが楽しく、死ぬまで日々研鑽の予定です。
いるべ漢方堂に改め早10年を過ぎ、漢方相談薬店として認知されてきたのか、
紹介やクチコミで来店されるお客様が増えてきました。
軽症だけではなく症状が重く悩みの末に来店される方も増えてきました。
そんな方たちの悩みに応えられるお店であり続けたいし、
お役に立てることを何よりの喜びとしています。
🌸最後にひとこと



私の名前の扶佐子は「扶」も「佐」も助けるという意味です。
「いるべ漢方堂」は、
これからも皆さまの健康をサポートして参ります。
入部薬局株式会社 代表 橋口扶佐子

